[這いずり日記] 印旛沼 2021/03
04/06/21 00:12 category :travelog
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記憶力のよい、地理好きの聡明な(笑)子供であったから、日本の主だった湖沼の面積や特徴は漏れなく把握していたが、その中でお気に入りと言えば間違いなく印旛沼であった。まずインバヌマという土俗的な語感が怪しくて素晴らしいし、何より日本最大の沼である。いまはご他聞に漏れず、カクカクと直線基調の姿に成り果てているが、子供の頃の日本地図では、まだ人の胃のような、魚の浮袋のような、ぬめぬめとした流線型で描かれていた。
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科学的な定義はともかく、沼は、本来、水の多寡にともない呼吸するように縮み、膨れ、また溢れて、境界のないものだ。だから干潟と同じで、この換金思想の世の中では、沼は生きづらい。蕪栗沼のように、水の溢れるゾーンを想定してもらっている多少は幸福な沼もあるが、元来広大な湿地帯の一部だった印旛沼の辺は、江戸時代からあっちを埋められ、こっちを切られ、度重なる土木手術に沼の印象はもはや殆どない。現在の姿は、人工呼吸器をつけられた明るい湖といった風情だろうか。まわりはあちこちに土木現場とゴミ処理場が目立つ。
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そのインバヌマの岸をあるくのはほぼ20年ぶり。平日の昼間、何よりインバヌマだから、人がいるようなイメージはなかったが、自転車に乗る人、犬の散歩、カメラを持った人、いろんな人がマスクをして、なんかガヤガヤしているので驚いた。水際はゴミが多いし、鳥はヒヨドリだのホオジロだのばっかりだし、少なからず失望したけれど、それでも久しぶりの他流試合は楽しいのだった。
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早々に西印旛沼には見切りをつけて、北印旛沼に行くと、工事現場だらけとは言え、多少20年前の印象に似た姿があった。水面にはヨシガモがたーくさんプカプカ浮いていて、夕方にはチュウヒが出て、まだ夏鳥はほとんど来ていなかったけれど、かわりにオオジュリンやアオジがヨシ原から顔を出した。何よりも、20年前、まだインターネットが今のように巷の事物を縁起をカバーしていなかった頃に遭遇して腰が抜けるほどおどろいた、飛べないモモイロペリカン(元は人に飼われていたものらしい)が相変わらず北印旛沼の入江のボートの上に座って、ひとり波の音を聞いていたのには吃驚した。ペリカンて長生きするんだな。
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それにしても千葉はのぺーっと平らで、広い。やっぱりこういう、とっかかりのない地形だと、土地の感覚のようなものは生まれにくいのではないかとか考える。バイオリージョナリズムは都会にも適用可能だとか言うけれど、島や山、アメリカの西部、そういうところではなくて、メリハリのない千葉のような場所では苦戦するのではないかなぁ、いやこういう場所では平地と水の感覚が生まれるのかなとか、どこまでも平らな道をあるきながら考えた。
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[写真撮影 : 2021/03 - 千葉県] [photo data : 03/2021 - Chiba]
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科学的な定義はともかく、沼は、本来、水の多寡にともない呼吸するように縮み、膨れ、また溢れて、境界のないものだ。だから干潟と同じで、この換金思想の世の中では、沼は生きづらい。蕪栗沼のように、水の溢れるゾーンを想定してもらっている多少は幸福な沼もあるが、元来広大な湿地帯の一部だった印旛沼の辺は、江戸時代からあっちを埋められ、こっちを切られ、度重なる土木手術に沼の印象はもはや殆どない。現在の姿は、人工呼吸器をつけられた明るい湖といった風情だろうか。まわりはあちこちに土木現場とゴミ処理場が目立つ。
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そのインバヌマの岸をあるくのはほぼ20年ぶり。平日の昼間、何よりインバヌマだから、人がいるようなイメージはなかったが、自転車に乗る人、犬の散歩、カメラを持った人、いろんな人がマスクをして、なんかガヤガヤしているので驚いた。水際はゴミが多いし、鳥はヒヨドリだのホオジロだのばっかりだし、少なからず失望したけれど、それでも久しぶりの他流試合は楽しいのだった。
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早々に西印旛沼には見切りをつけて、北印旛沼に行くと、工事現場だらけとは言え、多少20年前の印象に似た姿があった。水面にはヨシガモがたーくさんプカプカ浮いていて、夕方にはチュウヒが出て、まだ夏鳥はほとんど来ていなかったけれど、かわりにオオジュリンやアオジがヨシ原から顔を出した。何よりも、20年前、まだインターネットが今のように巷の事物を縁起をカバーしていなかった頃に遭遇して腰が抜けるほどおどろいた、飛べないモモイロペリカン(元は人に飼われていたものらしい)が相変わらず北印旛沼の入江のボートの上に座って、ひとり波の音を聞いていたのには吃驚した。ペリカンて長生きするんだな。
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それにしても千葉はのぺーっと平らで、広い。やっぱりこういう、とっかかりのない地形だと、土地の感覚のようなものは生まれにくいのではないかとか考える。バイオリージョナリズムは都会にも適用可能だとか言うけれど、島や山、アメリカの西部、そういうところではなくて、メリハリのない千葉のような場所では苦戦するのではないかなぁ、いやこういう場所では平地と水の感覚が生まれるのかなとか、どこまでも平らな道をあるきながら考えた。
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[写真撮影 : 2021/03 - 千葉県] [photo data : 03/2021 - Chiba]
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