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[這いずり日記] 甲府から名古屋 2011/早春

地震が起きたとき、東京の自宅にいた。税務署の書類を仕上げて、持参しようと着替えている時だった。震度5強、次いで5弱。体験した人は分かると思うが、長い長い地震で、テーブルの下でゆっさゆっさ揺られながら、今後どうなるのだろう、と行く末を不安に感じていた。


理事は千葉の実家にいて、震度6弱。電話が通じず、しばらく相互の無事も伝えられなかったが、翌日何とか帰宅。この時点で身内や友人に問題もなく、家も無事、揺れこそ間断なく襲ってくるもののの、ヤレヤレこれで一段落、と思った、のが甘かった。原発の情報を収集し、分析すればするほど不確定の懸念要素が多い。僕の仕事は場所に依存しないし、理事の仕事は八割方キャンセルだから、当面、念のために西方に退却することに決めた。パニックに遭遇するのはご免だから、トンネルを抜けた甲府盆地に当面の本拠を置いた。

と言うわけで最初の噴出があったと思われる一日前には既に関東を離れていて、甲府盆地でヒドリガモやチョウゲンボウを見ていたのだが、ここでも震度5弱、富士山の地震の直撃をくらい、また停電にもなり、気が休まらない。理事も宿暮らしは嫌だ、と言うので、さらに退却することにした。幸い、理事の名古屋の友人が空いている家を使っていいと言ってくれたので、厚意にどっぷり甘えることにし、一週間名古屋で過ごした。名古屋は今回ほとんど揺れていないし、停電もないから全くの普段通り、ゆっくりと過ごせた。

今後どうなるかは全く分からない。原発の問題は長引きそうだし、悪化のシナリオも色々とありそうだ。控えめに見積もっても、しばらくは風向きやら雨雲やらに注意をしながら、引き続き東京は東京であり続けることができるのだろうかとか、このような社会のシステムを築き、またそれを許していた自分たちは何と愚かだったのだろうかとか、世界の皆さんにゴメンナサイをしつつ、重苦しく考える日々が続いていくのだろう。


[写真撮影 : 2011/03 - 山梨県笛吹市] [photo data : 03/2011 - Fuefuki, Yamanashi, Japan]
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